結石闘病録シリーズ、最新作。
結石の痛みは酷いが、対応が不可能なのと、通り過ぎたら忘れてしまうというのが難儀だ。
最初の時は、何の痛みか分からず、恐怖感があったが、結石だと分かればガマンするしかない。
『死に至る病』でないせいか、どうも病院のお医者さんも真剣さが足りないような気がする(笑)とどのつまり急いだって、対処のしようがないのだ。
激痛、再来
1月30日。結石と遭遇してから、1カ月が経った。
以来、まったく痛みがないから、もう石は流れたんだと思っていた。
腎臓から、膀胱への管にある間は痛いが、その先、つまり膀胱に行ってしまえば、4mmの小さな石だと痛くないというか気付かないようだった。
が、そんなに甘いものではなかった。
締切で忙しくて、深夜まで仕事をしていた。
もう、集中して原稿を書かないといけないフェイズなので、翌日は自宅作業にする気になっていた。
が、この日のウチに会社で仕上げていかなきゃ行けない部分を書いているウチに腰が痛くなってきた。
腰痛だ。腰を伸ばしたりしながら、原稿を書き続ける。
いや、これ、『ヤバい、ヤツやん』。
どうも、結石の痛みが帰ってきた気がする。
でも、あと、2晩で30ページぐらい書かないといけない。自分が取材してたり、自分の知識で書く原稿だから、誰に頼むわけにもいかない。
とにかく、会社で書かないといけない原稿を書き終えて、片付けてクルマに乗り込んで帰る。帰ろうとする。
が、運転している間に、どんどん痛みが増して来た。
24時を越したあたりだったのだが、これは痛い。痛過ぎる。
この時間では救急病院に行くしかない、家に帰ってもしょうがない。このまま、病院に行こう。
と思ってクルマを止めて、病院を検索しようとするが、なにしろ痛くて、脳に意識がいかない。まともに検索もできない。
ともかく、ぜいぜい言いながら、2〜3件分かったことは、泌尿器科の病院は家から20kmぐらいあるってこと。痛みは増しているから、20kmも運転するのは無理かもしれない。
クルマを放置するわけにもいかないから、家までなんとか帰って、救急車を呼ぼうか。しかし、救急車が来るまで時間もかかるし、20km離れた病院に救急車で行っても、こんど帰りは電車で帰らなきゃいけない。これでは余計しんどい。しかも、今晩原稿を書かないと、締切的には致命的なことになる。
それと、どうやら深夜の救急病院に行っても、結局、痛み止めを処方されるだけのようだ。それでは時間と手間が面倒過ぎて、原稿的に厳しくなるのに、何も助けにならない。
というわけで、家に帰って座薬を使ってガマンすることにした。
一晩、苦しむ
痛い。
いくら、締切が厳しくても、この痛みの中で論理的に思考をまとめて文章を書く事は不可能だ。
根性だけではどうにもならないことがあるのを知った。
家に到着。
申しわけないが、寝ている妻を起して、事情を話し、して欲しいこと(着替えや飲み物の用意など)をしてもらえて、あとはソファに突っ伏したり、座ったりしながら、唸る。さすがにベッドルームに行くとうるさくてしょうがないと思うので、リビングでうんうん唸ってる。
ちなみに、年末の時は肋骨下端の中あたりが痛かったのだが、今回はだいぶ下。膀胱のあたりが痛くなっている。いや、どこが膀胱かは知らないが、いわゆる下腹部が痛い。つまり石の位置はだいぶ下がっているということなのだろうか?
4時頃に痛みが引いて、やっと寝られた。
さすがに、原稿はひと文字も書けなかった。
これは、明日は痛み止めを使いまくってでも、痛みを抑えて原稿を書かざるを得ない。
思えば、痛くなった3回とも、深夜に痛くなって、4時頃の痛みが収まってる。そういうものなのか?
翌朝、痛みが収まったので、起きて原稿を書きはじめる。自宅作業にしておいて本当に良かった(痛くなったら、いつでも座薬を入れたり、吐き気がしたら吐いたりできるから)。
翌日の昼と、夜中に原稿を書きまくって、なんとか締切には間に合わせることができた。
しかし、これ、もう一度痛みが来たらどうしよう……と思ったが、幸いにも痛みは来なかった。
結局、石が出たのか、出てないのか分からないまま、1カ月が経った。いったいどうなったのだろう?
(一応、これで終わりにしたい。続編がないことを祈るw)
(村上タクタ)