クルマの運転とはコミュニケーションだ
タクタです。
テクノロジー大好きであると同時に、バイクやクルマも大好きな私ですが、自動運転に対してはあまり肯定的ではありません。
ひとつには、運転が好きだから、別に機械にやってもらわなくてもいいやって思うから。もうひとつは、バイクやクルマの運転って、コミュニケーションだと思うから、道路に意志のない『自動運転車』が走っているのは気持ち悪いから。
高速道路を運転している時だって、「あのクルマは急いでいるから次に先行車を抜く」「あのクルマは車線の少し左寄りだから、次のPAに入るな」「後ろの子供が騒いでいるから、このクルマは周囲に神経がいっていない」……と、いろんなクルマの気持ちを読みながら、クルマを操作するのが運転だと思うから、そこに存在する自動運転車は異物だと思うのだ。
レベル4で事故が起こると、誰が責任を取るのか?
それはそうと、自動運転について、不思議でならないことがある。
現在、導入されるとかされないとか言ってるレベル3までは事故が起こった場合、運転者が責任を取ることになっているハズだ。それはABSの動作が不十分でぶつかっても、アイサイトの効能が不十分で事故を起しても、運転者が責任を取るのと基本的には同じだ。
一方、多くの人がイメージする自動運転である『レベル4』になると、ほとんどすべての動作をクルマが行う。ことになる。
私はテクノロジーを信奉するから、将来的には高速道路であれ、一般道であれ、レベル4の自動運転は可能になると思う。
が、その場合、事故を起したら、人が死んだら、誰が責任を取るのだろう?
動き出した瞬間から、人を殺す可能性があるという覚悟で
僕は、クルマ(やバイク)を運転するというのは、事故を起したら、人を殺したら責任を取る……というということだと思っている。
リビング寝っ転がっている時に人を殺すことはないけど、エンジンをかけて走り出した瞬間から、ひとを死なせる可能性が発生する。そう思って、いつも運転している(逆にそうじゃないという人がいたら、すぐにクルマの運転を辞めて欲しい)。
20代に、アメリカの荒野でバイクに乗ってる時、飛び出した鹿にぶつかって転んだことがあるのだが、ほぼ0距離で飛び出されると、どんなに瞬時に反応しようと激突してしまう距離がある。
これは機械でも同じで、物陰とかもすべてスキャンする技術でもない限り、飛び出す人、横の車線から唐突に入ってくるクルマを避けることはできない。
寝ていた人か? クルマを作ったメーカーか?
運転とは、こうした時にも『責任を取る覚悟』だと思っているのだが、レベル4の自動運転だと、誰が責任を取るのだろう?
「運転操作をしなくていい」と言われて、惰眠をむさぼったり、同乗者とミーティングしたり、スマホをいじったりしていた運転手なのだろうか? 寝ていたのに、目が覚めたら「あなたは人をひき殺しました」と言われて納得できるだろうか?
では自動運転の仕組みを作った自動車メーカーなのだろうか? となると、トヨタや日産レベルの大会社になると、1年で何十人、何百人という人をひき殺した……という裁判を抱えることになるだろう。
経済的な問題だけでいえば、賠償金が1人1億として、100人で100億の支出……というように予算に組み込むことはできるかもしれないが、自動車メーカー=何百人の人を殺した原告……という状態が、世間的に許されるとは思えない。
誰が責を負うのか?
誰かの子供がひき殺されて、運転手は自動運転に任せて寝ていたらから、私のせいではないと言い、メーカーは我々のせいではない……と、言うなんていう状態が許されるとは思わない。
では、誰が責任を取るのだろうか? 技術的に自動運転が可能かどうかというより、この『誰が責を負うのか』という問題が一番大切だと思う。
私は、誰が責任を負うのか、不明確なままの自動運転車に街中を走って欲しくはない。
※写真はテスラは外村さんに撮らせてもらったもの。車庫入れのシーンは日産のプロパイロットパーキングを体験した時のもの。
(村上タクタ)