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アフターコロナ——僕らはどんな世界に向けて生き残るのか

2020年を迎えた時には影も形もなかったのに、たった4カ月で世界の感染者数160万人、死者10万人を越えた(4月11日現在)新型コロナウイルス肺炎。

この災厄がいつ収束するのか、どれほどの被害を我々にもたらすのか、想像もつかないし、私は専門家でもなんでもないし、論じない。

新型コロナウイルス肺炎(COVID-19)がいつ収束するかの話は、いっぱいあるし、専門の方が論じられているし、シロウトがとやかく言うべきことではないと思うから。

だから、今の災厄をちょっとすっ飛ばして、新型コロナウイルス肺炎の流行が収束した世界が、どんな世界になるか、SF的好奇心をもって考えてみよう。

僕らはどんな未来を迎えるのか。

今は、絶望的な状況に、悲観的な気分になり、パニックを起しそうになっているが、この流行はいつか終わる。その時に来る未来を予測して、より良いものにしたい。

マスクが前提の世界がやってくる

経済的予想と、病理災害としてコロナの収束時期にだいぶズレがあるように思える。

今の緊急事態宣言の期限や、企業や個人への補助金の議論は、コロナ自粛が1〜2カ月であることを前提としている。

しかし、医者・研究者の語る情報を見ると、そんな短期間でコロナ禍が収束するとはとても思えない。

外出自粛でコントロールして医療崩壊を続け、アビガンなどの治療薬で抑制しつつも、最終的にはワクチンの完成を待つしかない。これに1〜2年。しかも、インフルエンザの例をみても、微妙に変異していくウイルスを、ワクチンで完全に押さえ込むことはできなさそうだ。つまり、治療薬や、ワクチンが完成しても、コロナは世界から完全にはなくならない。僕らはコロナがある世界で生きていかなければならないのだ。

おそらく、マスク、もしくはそれに類するものはマナーとして定着するだろう。ここ1〜2カ月は、顔をさらしたまま人に会うと、ちょっと引かれるようになったが、それが定着するだろう。

広く売っていた不織布のマスクが枯渇して、いつの間にか布マスクや、自作マスク(当初は、安全性はどうなの?と思ったけれど)も定着した。

いつまでもこのままというわけでもないだろうから、マスクもファッションの一部として様々なスタイルが提案されるのではないだろうか?

世界的に、握手などの風習も廃れるだろう。

どこに住んだっていいんだから、首都圏の地価が下落する

まず、どう考えても、学校はリモートでの講義を可能なようにするべきだ。

今回の教訓を活かすなら、すべての児童にiPadやパソコンを渡して、コロナが収束するまで、また新たな伝染病が流行したら、リモートで講義できるようにしておく必要がある。

現在の状態が2年続くとして、リモート講義なしで学校が成立すると考えているなら、それはかなり楽観的だ。

もう、Zoomなどのビデオ会議システムや、YouTubeを使った講義、GoogleやAppleのClassroom、Classiなどを使って、課題の管理や、生徒とのコミュニケーションを行っていくのが普通になるだろう。

いや、そうしないと、今後安定して授業を行うことはできない。現状を見て1カ月で休校が終わるなんて、どんだけ楽天的なんだっていう話だ(たとえ感染者数が減っても休校をやめたら、増加に転じるだろう)。

同時に会社もそうなっていくだろう。

もちろん、リモートワークできる会社ばかりではないが、リモートワークできる会社な極力リモートワーク。

そうなると、自宅にワークスペースがあるのがあたり前になり、ほとんどの仕事はそこと、ビデオ会議で行なう……という人が増えていくはずだ。となると、六本木ヒルズやミッドタウン、渋谷スクランブルスクエアに払っている高価な家賃は無駄。

多分、あのあたりの大きなオフィスフロアを持っている会社は、月額の家賃で数千万か億のお金を払ってるのだろう(知らんけど)。

在宅ワーカーが増えれば、その家賃を削減できる。ならはこの機会に在宅ワークをアフターコロナにも活用して、家賃を下げるだろう。会社には物理的作業や、どうしても顔を合わせてミーティングしたい時にだけ行くような会社も増えるだろう。

となると、在宅勤務中心で、必要に応じて会社に行くようになれば、もっと遠方に住んだっていい。週に1回会社に行けばいいのなら、たとえば湘南や、小田原、御殿場(もしくは、いっそ新幹線で名古屋とか)に住んだっていいという人が出てくるかも。

となると、都心や通勤圏の地価下落などもあるかも。

東京一極集中、都心地価高騰、満員電車……などの問題が、コロナ禍をきかっかけに解消するとしたら皮肉な話だ。

働き方を変えるべきなのに、変えられない会社は多分2年も持たない

ハンコや書類が……っていうような会社は、おそらく1年も在宅勤務が続けば継続できないだろう。

つまり、ここからはいかに早く、ハンコワークなどを減らして、ネット上で出来る業務を100%にできるかというところが勝負になってくる。なにしろ、このまま1年、2年、そしてそのあとも続くかも知れないのだ。

苦しいところだが、今投資して、ハンコ不要の会計システムを構築しないと、ここから先、ずっと大変だと思う。

もちろん、物理的にモノを動かす仕事は、リモートというわけにはいかないが、なるべく人と接触する部分を減らして作業していく工夫がされるだろう。

働く側も、感染を恐れながら働き続けるのは非常に苦痛だ。早くもレジなどにはシールドが設けられているところが多いが、セルフレジなども増えていくだろう。

また、紙幣からも感染する。紙幣についたウイルスが2週間ほど生きるという研究結果もあり、可能な限り紙幣には触りたくないところ。FeliCaや、QRコード決済をより積極的に使う人が増えていくだろう。昔は『お金は誰が触ったかわからないから不潔』と言われたものだが、近年その感覚が薄れてきていた。あらためて、それは感染症に神経質だった時代の知恵だったんだなと思わされる。支払われる方も、紙幣を渡されるより「PayPayで」って言われた方が安心しているはず。

一番、悩ましいのが飲食店だ。

今は、1カ月、2カ月のガマンだ……という経営をされている方が多いと思う。しかし、シュリンクの期間が1年、2年となると、もう続けられる飲食店はほとんどないのではないだろうか?

テイクアウト、デリバリー前提にシフトしても、元のような利益を生み出すことはなかなか難しいに違いない。

たとえ緊急事態宣言が収束したとしても、すぐに前のようなサービスは難しいに違いない。個別にひとりずつや、家族が食べられるような個室になるのだろうか? それとも、テイクアウトがもっと進化していくのだろうか?

いずれにしても、人類と貨幣経済始まって以来、飲食店がなくなったことはない。絶対にまた隆盛の時代がやってくる。しかし、それはどういうスタイルなのか、いつ再び、僕らは集まって飲み会をできるのか。まったく分からない。しかし、集まって食事をする機会はいつかまたやってくるはずだ。

Zoom講義やZoom飲み、VRライブなどのネット体験に課金する、洗練された仕組みの登場が待たれる

スポーツや、エンターテイメントも厳しい。

ここも技術の進歩に期待するしかない。

ZOOM飲み会や、ネット経由の講演会に参加したが、まだ決済との連動が上手くいっていない。

たとえば、ZOOM飲み会の参加費3000円、講演会5000円をすぐそこで決済できる仕組みがあれば、ここは伸びる可能性があるのではないだろうか?

たとえば、リアルタイムで演奏されるライブを一番前の席でVRゴーグルと超高音質なヘッドフォンで楽しむ権利。1万円で、1万人……とかなら集められるタレントさんは多いのではないだろうか?

1000円で、100人集まってくれれば喜んで演奏するという人もいるだろう。

Zoom飲み会の課金が簡単にできるソリューションのエンターテイメント版。リアルに会える時代には必要のなかったものだが、これは絶対に必要になるに違いない。

スポーツもそう。お金を払って、観客としてVRで参加するようなソリューションが絶対に必要だ。そして、応援がなんらかの形で選手に届くようにする。そういうソリューションを作れないだろうか?

『コロナクリーン』な国の連帯と、『免疫証明書』

今や、あらゆる国が鎖国状態にあるが、これもいつかは解除されるはずだ。しかし、海外からの人に対して、当面は相当神経質になるだろうから、なかなか容易には解除されないに違いない。

たとえば、今後一部の国で流行が止まらず、一部の国で抑えられようなことがあれば、『コロナクリーン』の国の間だけ人の行き来が可能になるということもあるかもしれない。しかし、その領域に到達できるのはまだ当分先のような気がする。

そんなコロナの世界に特権を持った人が生まれる可能性がある。

それがすでに罹患し『免疫を持った』人たちだ。彼らは『免疫証明証』を持ち、自由に屋外に出歩いたり、海外に出かけたり、できるようになるかもしれない。

でも、一説にはすべてのインフルエンザに免疫を持つ人はいないように、あるタイプの新型コロナにかからなくても、他の変異型の新型コロナにはかかる……というようなものなのかもしれない。となれば、そんな特権階級は生まれないが、同時にワクチンですべてが解決するわけではないということになる。

また、ワクチンが出来たら出来たで、映画『コンテイジョン』のように、奪い合いや、貧富の差による入手タイミングの違いが生まれるのかもしれない。これはどうやって配分するのだろう?

「地震のあとには戦争がやってくる」と清志郎は歌った

新型コロナウイルスのもうひとつの問題は、『分断』の病であるということだ。

個人と個人、国家と国家。いずれも、どんどん分断されており、もう一度繋がることができない。

このコロナウイルスは強権国家の方が制御しやすい。

独裁国家、社会主義国家、共産主義国家の方が、いろいろな制限を加えやすい。民主主義・自由主義はこういう時に個々人の良識、教育に問わなければならない。

自由主義国家の方がダメージが大きく、独裁主義的国家の方がこの災害を乗り越えてなお元気なはずだ。そうなると、どんどん社会の天秤がそちらに傾いてしまう。

経済的には世界恐慌に近い状態になるだろうから、そういう時、一番恐ろしいのが暴力、軍事力で解決しようとする人が出ること。治安も悪くなる。借金をひっくり返すには戦争をするしかないのだ。戦争起こるかもしれない。それだけはなんとか回避したい。

若者は『壊れた世界で生きていく』のだと知っている

まだまだ、新型コロナウイルス肺炎が収まったら、元通りの世界がやってくると思っている人が多いと思うが、冷静にいろいろな現状発表されている部品を組み合わせただけで、出てくるのはこんな未来だ。

高度経済成長とバブルが終わって『今日より明日が裕福』な世界が終わった時。911でWTCに飛行機が突込んで世界のどこにも安全な場所などなく強大な軍事力だけが我々を殺すわけでないということに気がついた時。東日本大震災で巨大津波に街が飲まれるのを見て『我々の世界を破壊し尽くす天災』が物語の中だけのものではないと知った時。地球温暖化がもう止まらず、水温は上がり、気象はどんどん異常になっていくことを止められないと気付いた時。

パラダイムシフトは、これまでも何度か起こったが、今回が最大のものであることは、確かだろう。

僕らは昨日とは明らかに違う世界線に入り込んでしまっており、もう昨日には戻れない。

そして、僕たちオッサンはいつまでも『元通りになる日』を待っているが、若者たちは『この壊れた世界で生きて行く』のだということを知っている。

『天気の子』は『壊れたままの世界』で生きる若者へのエール〈新海誠インタビュー03〉
https://funq.jp/flick/article/566134/

アフターコロナを生きて行くということは、この壊れた世界を受け入れて行きて行くのだということだと思う。

(村上タクタ)