赤ちゃんの泣き声

先日、両親の結婚50周年を祝った。
いわゆる金婚式である。

世間では、金婚式をどうやって祝うのかはしらないが、実家近く、宇治の平等院の近所の料亭で食事をして祝った。

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残念ながら、僕の妻子を連れていくのは新幹線に乗って向かうにはお金がかかり過ぎるし、学校もあるので断念した。

ゆえに、僕と、弟、妹の家族が集まった。

結婚50年とはどんなものだろう。ウチも結婚してとても長い時間が経ったような気がするが、まだ16年。この3倍以上かと思うとやはり途方もない年月だと思う。

結婚したのは1964年。第二次大戦が終ってまだ20年も経たない頃だ。新幹線が開通した年。名神は開通したばかり、東名はまだできていなかった。いうなれば高度成長まっさかり。どんな未来を描いて結婚したのだろうか?

ちなみに、結婚した時父は停職に就いておらず、アトリエで彫刻を作るばかりで、マネキン会社で原型を作ったりして口に糊していたはずだ。

我が家の幸福なところは、両親が金婚式を迎えられたのみならず、それを祝う席に、祖母、つまり母の母も出席できたことだろう。娘が金婚式を迎える席に立ち合うとは、これまたどんな気持ちのすることだろう。

3人の子供も、それなりに結婚して、ようやくそれぞれに子供をさずかった。これまた幸いなことだと思う。

妹と弟のところには、それぞれやっと授かった1歳の子供がいる。料亭で、それぞれに泣いたりしていたのだが、103歳の祖母、結婚50年を迎える両親が集う場で、赤ん坊の泣き声は、妙なる音色というか、命の祝福だとしか思われなかった(料亭は十分に広かったし、当然個室だったから、他の客に迷惑がかかる恐れはなかった)。

祖母の103年の人生があり、両親の50年の結婚生活があり、我々子供たち(といってももう40前後だが)の生活があり、その上に彼、彼女の泣き声があると思えば、その泣き声を聞いているのは本当に幸せなことだった。

昨今、子供の泣き声がうるさいとか、電車やバスの中のベビーカーが云々という話を聞くが、赤ん坊をあやせぬ位に追いつめられているのかと思うと、そのイライラしている大人をこそ哀れむべきだろう。

定刻目指して満員電車にゆられ、いたわってくれる人もなく、ただたた消耗していく生活を送らなければならない人たちだろう。もうちょっと、なんとか余裕をもって生きられないのだろうか?

赤ん坊と、それを抱いた母親なんて、もっともいたわるべき人たちじゃないか。赤ん坊の泣き声を、幸せな調べだと思える人生をこそ大切にしたい。

 

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